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以前東京駅で、153系と165系の混結編成を見ました。
品川、川崎、横浜、大船、藤沢、平塚、国府津、小田原、湯河原、熱海…………まるで快速アクティー並の停車だな😅
元々終わりかけてたのが特急化でトドメを刺された感じなのね。急行時代は繁盛してたのかと思ってた
急行「東海」 東京 → 品川 →川崎 → 横浜 → 大船 →藤沢 →平塚 → 国府津 → 小田原 →湯河原 → 熱海 → 三島 → 沼津 → 吉原 → 富士 → 蒲原 → 清水 →静岡 😮
21世紀にこんな化石みたいな急行が走ってたのか。
20世紀だが😉
@@psychedelicraspberry517 2007年までだから21世紀ですね
ワイの持ってるJTB時刻表の1999年7月号で既に特急化しとるが😉
165系8両+3両の最大11両で運行されてました。
浜松から東京に帰るのに東海4号をよく使いました、浜松から静岡迄は各駅停車で静岡から急行運転でした。
動画お疲れ様です。東海も遠い昔になってしまいました。
特急にはなったもののそれから10年ほどで廃止されましたからね。末期は定期券と特急券で利用可能で特に1号は下りの方の通勤ライナーとしての利用もありました。それからもう17年。東海道線の役割も大きく変わりましたね。
リクエストに応じて下さり、誠に有難う御座います。「東海」号は、「上京の御供」としてよく乗っていたものでした。3分でサクッと振り返れるのが、実に良いですね。
ごてんばを連結していた東京-国府津間は東海道新幹線と同じ16両編成でした。在来線では最長でした。
この当時はまだごてんば号は165系の3両でした。167系になったのは1981年の踊り子号の登場の時です。田町電車区の167系はこの時点では神奈川県から日光への修学旅行や東京から伊豆への臨時急行が主な運用でした。
@@TSUYOS185 様この当時はごてんばは3両でしたか。ずっと東海12両、ごてんば4両と思っていました。失礼いたしました。情報ありがとうございました。
😢素晴らしい!特急や新幹線との競走の中で、たくましく走る姿は、急行の鏡です!
特急東海同様に、大垣夜行にも充当された165系での運用、懐かしいです。「ごてんば」号は運用されなくなってから乗車しましたが、デッキ付きの湘南色が脳裏に焼き付いています。
153系続きで申し訳ないですが、急行山陽を見てみたいです。
いつもありがとうございます。熱海駅ですが、伊東線は当時本数がかなり少なかったのでしょうか?18時まで乗り換え列車ないとは驚きです。
今では、静岡に行くなら、こだま一択になりましたね。
1980年といえば普通急行が特急格上げや普通格下げにより斜陽化し始めたころですね。この急行東海は踏ん張りましたが最終的には特急に格上げされてしまいました...
普通でも構わないので、静岡直通の列車を復活させてほしいと本気で思っている😅
新幹線にどうぞ、という話ですね。
J東と東海の線引き上、不可能かと・・・。確かに、東京発浜松行きの11両・・・緩行仕様でも乗って行きたいです(^^)
2010年前後に静岡へ出張した時、何も調べずに帰京しようと静岡駅に戻ったら19時過ぎに「普通・東京」の設定があることを知り、利用しました。多分ムーンライトの送り込みだったのかなと思いますが、373系でゆったり品川まで過ごせたのは良い思い出です。所要時間だけなら熱海~高崎・宇都宮間と変わらないのでしょうが、会社を跨ぐことと短編成であること、社内設備が緑のJRにとっては高級すぎることから、あの運用は復活しないでしょうね
@@zaa00110幼少期には、まだそういう列車がありました。金属サボで「東京←→浜松」の文字を見ると、その頃はすごい長距離だなって思ってました。
輸送需要が違いすぎます。
川崎や藤沢停車には驚きました。中距離運転になり、主要都市でこまめにお客さんを拾う、快速みたいなスタンスに変わったんでしょうか。
この東海1号には国鉄末期に何度か乗ったのでよく覚えています。既に静岡止まりの165系でしたね。清水から乗ってきて急行券を買わされていた人をよく見ました。
東海道新幹線「こだま」が停車しない駅に丹念に停車しながら静岡・東京をめざす。時刻表上でしか知らない列車だが、華やかだったんだろうな
意外な点ですが、この時代はワイド周遊券やミニ周遊券があり、急行の自由席は急行券なしで乗れました。青春18や高速バスが台頭する前の格安手段でした。
@@TSUYOS185 意外というか、昔のノリ鉄の周遊券ユーザーの基礎知識だった気がしますが笑。北海道の急行なんか、そういう周遊券での旅行者がたくさんいて、そうした者同士で自然と車内で会話していましたし、夜行だと北海道民とも気さくに話せる良い空間でした。
@@kataakeo7730 さま東北や北海道では割と当たり前の手段でしたね。上野駅では北海道連絡のある十和田号や八甲田号に乗るのに数時間前から並ぶのは自然な光景でした。夜行列車のなかでたまたま出会った方々と一夜語り合うのも良きものでしたね。列車ではありませんが、ユースホステルでの旅の情報交換も欠かせないものでした。
華やかではないな。地味やな😁
@@TSUYOS185私はユースホステル使わなかった。理由は①金💰️かかる。ほぼほぼ夜行列車なら追加課金なし。②たいがい、観光地にあって駅近にはない。「○○駅からバス🚌30分」とか無理😢🆖⤵️③列車は早朝5時台から走ってるのに朝食☕🍞🌄食ってからとか無理😢🆖⤵️
この頃は大垣所属の153,165系,大垣夜行と共通の運用、名カキ
しかもグリーン車2両連結の堂々の12両!
@@TSUYOS185さんそのグリーン車にグリーン車だけ製造されたサロ163が連結されてましたね。
急行東海は、特急に格上げされる少し前に乗った記憶があります。ただ、実際のところ、静岡県内での利用者はどのくらいいたのでしょうか?専ら、沼津か熱海あたりから東京(品川)あたりまでが利用されていたような気がします。特に東京~小田原は新幹線利用が不便でありながら、人口の多い地域なので、この区間内を速く着席して移動したい需要は多そう。だとすれば、この部分(せいぜい熱海、三島あたり)まで在来線特急を運転すれば足り、現在の運用(特急湘南&踊り子)に落ち着いた気がします。熱海、三島より西の静岡県内は新幹線の駅も多いので(新たに作った駅を含めると)、急ぎの人は新幹線を使ってくださいということなんでしょうし、それで乗客も納得してしまったのでしょうね。。。
周遊券で東京や大阪に行く時に乗りました。
静岡から東京帰る時に親に連れられてよく乗りましたねぇ親はソコソコの時間で乗り換え無しで移動できる手段で重宝していたようでした
この頃は急行停車駅だった蒲原はのちに静岡の東海道線で乗降客最少駅にまで衰退する
いつもありがとうございます。東海号がそれまでの4往復から2往復に減少したときですね。この列車は車両が大垣電車区所属の12両で大垣夜行と共通の運用でした。本数は少なくなりながらも中規模同士の地域を繋ぐ縁の下の力持ちだったのですね。夏は家族連れが冷凍みかんを買って食べたり、テーブルの栓抜きでジュースの王冠を開けて飲みつつ車窓を眺めていたのでしょう。
特急「東海」の親分ですね。いいねいいね懐かしい!あ、吉原にも停車してたんですね。特急の時もそうだったかなぁ…。
特急では藤沢、茅ヶ崎、国府津、函南、吉原は通過だったような、、
私もそんな気がします。25年前くらいまで走ってましたよね。
特急格上げで新幹線との料金差がほとんどなくなってしまったがために、こだま号に需要を奪われて消滅した悲しい列車・・・東海が消えた後の 静岡1930→東京2243の338M列車にはよくお世話になりました。
東海1号は静岡を10時過ぎに着くから静岡競輪の1レースに間に合う.また最終レース終了後のバスに乗って静岡駅に行くとちょうど東海4号が出るから東海は競輪ファンがけっこう乗っていた 前もって帰りの乗車券と急行券は買っていたので負けたらそのまま急行自由席で,勝ったらグリーン車か急行券を払い戻して新幹線で帰る
大垣鈍行(→ムーンライトながら)とかは、競輪、競艇好きの人が結構乗っていましたが、東海も似たような客層だったのかもしれませんね。お金を節約してまでギャンブルに使いたいのでしょうか。
偶然にも今年のGPは静岡だしな
急行・東海・・・懐かしいなぁ(^^)鉄道員だった亡父が、事ある毎に「熱海の保養所(いで湯荘だったか?)」に狩り出された時に乗せられてっけ(^^ゞ幼少期「こだま号に乗りたひ・・・」と思ってたが、半世紀を過ぎると「東海の奥深さ」を痛感するな。JR東&東海・・・令和の世だからこそ「急行」を復活させんものか(-。-)y-゜゜゜
ないな😉
同じく国鉄職員だった父を持つ身の上、同じような経験をしてます。新幹線こだまで東京に連れて行って欲しかったのに、急行東海を選ぶ父。乗り換えなしの便利さもあったけれど、国鉄職員のお父様を持つ身の上、新幹線でなく東海が選ばれたその理由はわかりますよね。。。。。子供の自分は時間を持て余して国府津あたりであきてくる。ちょうど急行ごてんばの連結作業で数分停車。ホームに向かって入って来る新幹線車両のカッコよさは何ものにもかえがたいけれど、もう経験できないあのノスタルジックな急行東海はよき思い出です。
リクエストを送ります1980年10月のダイヤで特急「はくたか1号」とL特急「しらさぎ3号」の時刻をリクエストします
特急にしたのは、JR東海が急行型車両をもうあまり保有しなくなり、ワイドビュー型車両(特急用)をそのまま運用し、かつ特急料金も徴収できるという事情からでしょうね。。。ただ、急行のままでも良かった気もします。なにしろ、この頃は、同じ車両をムーンライトながらに転用していたくらいですから。
あとはリニア開業後を見据え、静岡以東なら現新幹線を、名古屋以西だけにのぞみの大部分を残して、以東はひかりやこだまを増やすことで賄えると考えたのかも
ちょうどその頃は、JR各社が普通急行を特別急行化する機運の高まった時期で、日本各地の急行がなくなっていきました。その波に呑まれる形で東海も特急化していきました。。。
@@kqguardsmen76急行の特急化は国鉄末期から始まってるが😉
新幹線に輸送の主力が移り、静岡止まりになってしまった。出張で富士市に行った時、新幹線で静岡、乗り換えで上り急行「東海」で富士まで乗車。乗継割引があった記憶があった。東海号も平成迄残ったが、急行で廃止すれば良い物を、JR東海が静岡〜東京間の特急に格上げしてしまった。結局は廃止になった。何か、東海号の歴史を傷付けた感じが残り、スカッとしません。
そんなことを言ったら怒られそうですが、新幹線の新富士駅を作ってしまったので、遠方への急ぎの利用者はそちらに行くようになった分、東海の需要は減ったでしょうね。(あの駅に行くのは大変そうに見えますが)。掛川にも新幹線の駅ができてしまいましたし。
急行の割に停車駅が多すぎると思う。言うほど急いで行かないのですね。
停車駅が 少なければ 新幹線が あるからです。
各市の中心駅には停車するというスタンスだったのでしょう。乗客にとってはたまたま来たのが急行で、乗ったら専務車掌が来て急行料金を払っていたのでしょう。
@@TSUYOS185 新幹線が 開通して 以降の 急行「東海」は 新幹線が 来ない 駅が 主な 対象でした。
それを言ったらお終いな気がしますが。もともとが準急で、その頃からあまり停車駅(数)をいじっていない気がします。
その頃の特急も停車駅多かったです。特急が多ければ急行はさらに多いわけで。
以前東京駅で、153系と165系の混結編成を見ました。
品川、川崎、横浜、大船、藤沢、平塚、国府津、小田原、湯河原、熱海…………まるで快速アクティー並の停車だな😅
元々終わりかけてたのが特急化でトドメを刺された感じなのね。急行時代は繁盛してたのかと思ってた
急行「東海」 東京 → 品川 →川崎 → 横浜 → 大船 →藤沢 →平塚 → 国府津 → 小田原 →湯河原 → 熱海 → 三島 → 沼津 → 吉原 → 富士 → 蒲原 → 清水 →
静岡 😮
21世紀にこんな化石みたいな急行が走ってたのか。
20世紀だが😉
@@psychedelicraspberry517 2007年までだから21世紀ですね
ワイの持ってるJTB時刻表の1999年7月号で既に特急化しとるが😉
165系8両+3両の最大11両で運行されてました。
浜松から東京に帰るのに東海4号をよく使いました、浜松から静岡迄は各駅停車で静岡から急行運転でした。
動画お疲れ様です。
東海も遠い昔になってしまいました。
特急にはなったもののそれから10年ほどで廃止されましたからね。末期は定期券と特急券で利用可能で特に1号は下りの方の通勤ライナーとしての利用もありました。
それからもう17年。東海道線の役割も大きく変わりましたね。
リクエストに応じて下さり、誠に有難う御座います。
「東海」号は、「上京の御供」としてよく乗っていたものでした。
3分でサクッと振り返れるのが、実に良いですね。
ごてんばを連結していた東京-国府津間は東海道新幹線と同じ16両編成でした。
在来線では最長でした。
この当時はまだごてんば号は165系の3両でした。167系になったのは1981年の踊り子号の登場の時です。
田町電車区の167系はこの時点では神奈川県から日光への修学旅行や東京から伊豆への臨時急行が主な運用でした。
@@TSUYOS185 様
この当時はごてんばは3両でしたか。
ずっと東海12両、ごてんば4両と思っていました。
失礼いたしました。
情報ありがとうございました。
😢素晴らしい!特急や新幹線との競走の中で、たくましく走る姿は、急行の鏡です!
特急東海同様に、大垣夜行にも充当された165系での運用、懐かしいです。「ごてんば」号は運用されなくなってから乗車しましたが、デッキ付きの湘南色が脳裏に焼き付いています。
153系続きで申し訳ないですが、急行山陽を見てみたいです。
いつもありがとうございます。熱海駅ですが、伊東線は当時本数がかなり少なかったのでしょうか?18時まで乗り換え列車ないとは驚きです。
今では、静岡に行くなら、こだま一択になりましたね。
1980年といえば普通急行が特急格上げや普通格下げにより斜陽化し始めたころですね。この急行東海は踏ん張りましたが最終的には特急に格上げされてしまいました...
普通でも構わないので、静岡直通の列車を復活させてほしいと本気で思っている😅
新幹線にどうぞ、という話ですね。
J東と東海の線引き上、不可能かと・・・。
確かに、東京発浜松行きの11両・・・緩行仕様でも乗って行きたいです(^^)
2010年前後に静岡へ出張した時、何も調べずに帰京しようと静岡駅に戻ったら19時過ぎに「普通・東京」の設定があることを知り、利用しました。多分ムーンライトの送り込みだったのかなと思いますが、373系でゆったり品川まで過ごせたのは良い思い出です。所要時間だけなら熱海~高崎・宇都宮間と変わらないのでしょうが、会社を跨ぐことと短編成であること、社内設備が緑のJRにとっては高級すぎることから、あの運用は復活しないでしょうね
@@zaa00110
幼少期には、まだそういう列車がありました。
金属サボで「東京←→浜松」の文字を見ると、その頃はすごい長距離だなって思ってました。
輸送需要が違いすぎます。
川崎や藤沢停車には驚きました。
中距離運転になり、主要都市でこまめにお客さんを拾う、快速みたいなスタンスに変わったんでしょうか。
この東海1号には国鉄末期に何度か乗ったのでよく覚えています。既に静岡止まりの165系でしたね。清水から乗ってきて急行券を買わされていた人をよく見ました。
東海道新幹線「こだま」が停車しない駅に丹念に停車しながら静岡・東京をめざす。時刻表上でしか知らない列車だが、華やかだったんだろうな
意外な点ですが、この時代はワイド周遊券やミニ周遊券があり、急行の自由席は急行券なしで乗れました。
青春18や高速バスが台頭する前の格安手段でした。
@@TSUYOS185 意外というか、昔のノリ鉄の周遊券ユーザーの基礎知識だった気がしますが笑。
北海道の急行なんか、そういう周遊券での旅行者がたくさんいて、そうした者同士で自然と車内で会話していましたし、夜行だと北海道民とも気さくに話せる良い空間でした。
@@kataakeo7730 さま
東北や北海道では割と当たり前の手段でしたね。上野駅では北海道連絡のある十和田号や八甲田号に乗るのに数時間前から並ぶのは自然な光景でした。
夜行列車のなかでたまたま出会った方々と一夜語り合うのも良きものでしたね。
列車ではありませんが、ユースホステルでの旅の情報交換も欠かせないものでした。
華やかではないな。地味やな😁
@@TSUYOS185私はユースホステル使わなかった。理由は①金💰️かかる。ほぼほぼ夜行列車なら追加課金なし。②たいがい、観光地にあって駅近にはない。「○○駅からバス🚌30分」とか無理😢🆖⤵️③列車は早朝5時台から走ってるのに朝食☕🍞🌄食ってからとか無理😢🆖⤵️
この頃は大垣所属の153,165系,大垣夜行と共通の運用、名カキ
しかもグリーン車2両連結の堂々の12両!
@@TSUYOS185さん
そのグリーン車にグリーン車だけ製造されたサロ163が連結されてましたね。
急行東海は、特急に格上げされる少し前に乗った記憶があります。
ただ、実際のところ、静岡県内での利用者はどのくらいいたのでしょうか?
専ら、沼津か熱海あたりから東京(品川)あたりまでが利用されていたような気がします。
特に東京~小田原は新幹線利用が不便でありながら、人口の多い地域なので、この区間内を速く着席して移動したい需要は多そう。だとすれば、この部分(せいぜい熱海、三島あたり)まで在来線特急を運転すれば足り、現在の運用(特急湘南&踊り子)に落ち着いた気がします。
熱海、三島より西の静岡県内は新幹線の駅も多いので(新たに作った駅を含めると)、急ぎの人は新幹線を使ってくださいということなんでしょうし、それで乗客も納得してしまったのでしょうね。。。
周遊券で東京や大阪に行く時に乗りました。
静岡から東京帰る時に親に連れられてよく乗りましたねぇ
親はソコソコの時間で乗り換え無しで移動できる手段で重宝していたようでした
この頃は急行停車駅だった蒲原は
のちに静岡の東海道線で乗降客最少駅にまで衰退する
いつもありがとうございます。東海号がそれまでの4往復から2往復に減少したときですね。
この列車は車両が大垣電車区所属の12両で大垣夜行と共通の運用でした。
本数は少なくなりながらも中規模同士の地域を繋ぐ縁の下の力持ちだったのですね。
夏は家族連れが冷凍みかんを買って食べたり、テーブルの栓抜きでジュースの王冠を開けて飲みつつ車窓を眺めていたのでしょう。
特急「東海」の親分ですね。
いいねいいね懐かしい!
あ、吉原にも停車してたんですね。
特急の時もそうだったかなぁ…。
特急では藤沢、茅ヶ崎、国府津、函南、吉原は通過だったような、、
私もそんな気がします。
25年前くらいまで走ってましたよね。
特急格上げで新幹線との料金差がほとんどなくなってしまったがために、こだま号に需要を奪われて消滅した悲しい列車・・・
東海が消えた後の 静岡1930→東京2243の338M列車にはよくお世話になりました。
東海1号は静岡を10時過ぎに着くから静岡競輪の1レースに間に合う.また最終レース終了後のバスに乗って静岡駅に行くとちょうど東海4号が出るから東海は競輪ファンがけっこう乗っていた 前もって帰りの乗車券と急行券は買っていたので負けたらそのまま急行自由席で,勝ったらグリーン車か急行券を払い戻して新幹線で帰る
大垣鈍行(→ムーンライトながら)とかは、競輪、競艇好きの人が結構乗っていましたが、東海も似たような客層だったのかもしれませんね。お金を節約してまでギャンブルに使いたいのでしょうか。
偶然にも今年のGPは静岡だしな
急行・東海・・・懐かしいなぁ(^^)
鉄道員だった亡父が、事ある毎に「熱海の保養所(いで湯荘だったか?)」に
狩り出された時に乗せられてっけ(^^ゞ
幼少期「こだま号に乗りたひ・・・」と思ってたが、半世紀を過ぎると「東海の奥深さ」を痛感するな。
JR東&東海・・・令和の世だからこそ「急行」を復活させんものか(-。-)y-゜゜゜
ないな😉
同じく国鉄職員だった父を持つ身の上、同じような経験をしてます。新幹線こだまで東京に連れて行って欲しかったのに、急行東海を選ぶ父。乗り換えなしの便利さもあったけれど、国鉄職員のお父様を持つ身の上、新幹線でなく東海が選ばれたその理由はわかりますよね。。。。。子供の自分は時間を持て余して国府津あたりであきてくる。ちょうど急行ごてんばの連結作業で数分停車。ホームに向かって入って来る新幹線車両のカッコよさは何ものにもかえがたいけれど、もう経験できないあのノスタルジックな急行東海はよき思い出です。
リクエストを送ります
1980年10月のダイヤで特急「はくたか1号」とL特急「しらさぎ3号」の時刻をリクエストします
特急にしたのは、JR東海が急行型車両をもうあまり保有しなくなり、ワイドビュー型車両(特急用)をそのまま運用し、かつ特急料金も徴収できるという事情からでしょうね。。。
ただ、急行のままでも良かった気もします。なにしろ、この頃は、同じ車両をムーンライトながらに転用していたくらいですから。
あとはリニア開業後を見据え、静岡以東なら現新幹線を、名古屋以西だけにのぞみの大部分を残して、以東はひかりやこだまを増やすことで賄えると考えたのかも
ちょうどその頃は、JR各社が普通急行を特別急行化する機運の高まった時期で、日本各地の急行がなくなっていきました。その波に呑まれる形で東海も特急化していきました。。。
@@kqguardsmen76急行の特急化は国鉄末期から始まってるが😉
新幹線に輸送の主力が移り、静岡止まりになってしまった。
出張で富士市に行った時、新幹線で静岡、乗り換えで上り急行「東海」で富士まで乗車。乗継割引があった記憶があった。
東海号も平成迄残ったが、急行で廃止すれば良い物を、JR東海が静岡〜東京間の特急に格上げしてしまった。
結局は廃止になった。
何か、東海号の歴史を傷付けた感じが残り、スカッとしません。
そんなことを言ったら怒られそうですが、新幹線の新富士駅を作ってしまったので、遠方への急ぎの利用者はそちらに行くようになった分、東海の需要は減ったでしょうね。(あの駅に行くのは大変そうに見えますが)。
掛川にも新幹線の駅ができてしまいましたし。
急行の割に停車駅が多すぎると思う。言うほど急いで行かないのですね。
停車駅が 少なければ 新幹線が あるからです。
各市の中心駅には停車するというスタンスだったのでしょう。
乗客にとってはたまたま来たのが急行で、乗ったら専務車掌が来て急行料金を払っていたのでしょう。
@@TSUYOS185 新幹線が 開通して 以降の 急行「東海」は 新幹線が 来ない 駅が 主な 対象でした。
それを言ったらお終いな気がしますが。もともとが準急で、その頃からあまり停車駅(数)をいじっていない気がします。
その頃の特急も停車駅多かったです。特急が多ければ急行はさらに多いわけで。